プロフィール  ソウルガイド花和(はな)

1966年、大阪府大阪市に生まれ落ちます。

4歳違いの妹と共に、何不自由なく育ちましたが、特筆すべき才能は無く、ひねくれた性格のため、人に嫌われ友達もいません。そんな私にも、不思議な体験くらいはありました。

あれは小学校3年生くらいだったと思います。休み時間に、校庭の端っこにある肋木(ろくぼく)という遊具に登っていた時に起こりました。それは、はしごを並べた様な形で、一番上の横棒は少し前に突き出しています。その横棒に片足を引っかけ、逆さまにぶら下がるために手を離そうとしていました。その時チャイムが鳴って、周りの友達が一斉に遊びをやめ、校舎に向かって走り出しました。

「私も早く教室に戻らんとあかん。」

体勢を変えて下りようとしました。ところが、非力な小学生では、四肢のどれかを離すと必ず頭から落ちてしまう事に気づいたのです。焦りと恐怖で汗が吹き出します。周りには誰も居なくなって助けを呼ぶ事もできません。空と自分の手足を見ながら、

「保健室に行くことになっても、落ちないと脱出できない。」

決心して足をはずそうとした瞬間、私は校庭に立っていました。

しかも、遊具から少し離れた位置に校舎側を向いて立っており、鳴り終わったはずのチャイムが巻き戻って鳴っていました。

校舎に戻ったはずの友達も、まだ校庭を走っています。

その背中を見ながら、一瞬、起こった事を考えましたが、早く教室に戻らないと叱られてしまうと思い、校舎に向かって走り出しました。

絶体絶命の危機に、何かが起きて助かりました。誰かが助けてくれたのかも知れません。この出来事が、解明されて腑に落ちるのを楽しみにしています。

時は移り、高校卒業後、地元美容室で働きながら、美容専門学校夜間部を卒業。

結婚後、2男1女に恵まれ、主人と共に美容室をオープン。そして移転新規オープンと、目まぐるしい時間を過ごしていました。周りの人達に助けられ、何とかなっていたというのが相当かも知れません。

そんな中、長女、美容室オーナー、妻、嫁、母親という役割の責任に耐え切れなくなるには、10年もあれば十分でした。

30代半ばで、うつ病と診断され、本当に地獄の底を這いずり回るような毎日です。

「耐えられない。どうやって死のうか。」

うつ歴も5年を過ぎると、死ぬための力が出ず、とにかく辛さから逃げたいと、あるだけ全部の薬を飲みました。逃げたいだけで死ぬ気は無いのですから死ねません。周りの人達に心配と迷惑をかけながら、ひきこもり状態の中で、置き去りになっていた自分自身の過去と格闘していました。

やがて不思議な体験が始まり、自分はとうとう頭が変になったのかと不安になりました。布団の中で目を閉じると、部屋の端から数人の人が何やら話し合っている声が聞こえます。目を開けて見ると、もちろんそこには何もありません。

他の霊体験と違って、金縛りにならないし恐怖も感じませんから、これは医師に相談だなと考えていました。そして医師は、正常範囲という言葉で流しました。私もそれを素直に受け入れて、その事は忘れていました。これは後から分かった事ですが、どうやらそれらは必然的に起こっていた様で、相談する数人の声は、私を見守っている人ならざる者でありました。

「頃合いだろう。」「そろそろいいだろう。」

そんな事を話し合っていた様です。今考えると、確かにその数か月後には、うつが寛解し、自然に今の道へ導かれました。

ただ、たった一か月の内にみるみる寛解したきっかけは、父の一言だったのですが、それはまた違う機会に。

うつが寛解してすぐに、ご縁があって神戸はミラクルアカデミー主催のマリエ先生に師事。ライトワーカー講座を通して、スイッチを押して頂き、受講後、今まで眠っていたものが覚醒し始め、前世開示の体験をきっかけに、今の活動を始めることになりました。

その後の覚醒体験は、「私は在る。」そのものになり、在る事と意識は不可分なことを理解しました。理解は後から色々やってきますが、あの至福は、「何も無い。」からしか得られないものでありました。

うつ病以前の自分が、まるで眠っている様な無知の状態であったと実感します。

美容師として働いた事も、経済的に追い込まれる事も、子育ての間違いの数々も、男女の間違いも、人生の全てが必要だったと感じます。

約15年の活動期間には、様々なエネルギーの清算、気づきと解放を繰り返し、人が決して一人では生きられない事を理解しました。自分がどれだけ周りの人々の愛に支えられていたかを実感し、感謝があふれてきます。

現在は、"ソウルガイド”として働かせて頂き、私の経験が皆様の一助になるのではないかと、日々精進しております。